崖下にある女の裸がみたい。僕は命をかけてラペリングを習得し崖をくだった
心してかかれよ
これは高校時代、僕の友人がエッチな本を買った時にレジのおばちゃんに言われたことだ。
今でこそインターネットが発達し、エロは手軽になったがそれ以前はそうもいかなかった。エロ本・エロビデオなどエロの情報は貴重だったのだ。
エロいものが見たい。でも恥ずかしい。
このジレンマは本当に男子を悩ませる。いいところにエロ本があるのに人通りが多すぎて持って帰れない、それで涙をのんだ男は数知れずいるだろう。だからこそ、知り合いにばれないよう隣町に何時間もかけてエロ本を買いに行く、なんて話がそここに溢れていたのだ。一昔前は。男はエロのために努力する。
そして当時中学生だった僕は、崖下に落ちていたスーパー写真塾をどうするかでとても悩んでいた。
僕は田舎育ちで、学校までは文字通り山を超えて谷を超えて徒歩で毎日通学していた。ある時、通学途中の崖下にエロ本(スーパー写真塾)が大量に落ちているのを見つけてしまったのだ。
ビニール袋に入っていて、肌色が多めの本
これは間違いなくエロ本だ。
当時の僕は本能的に悟った。そして
あれがどうしても欲しい
そう思った。でも、崖下にあるから物理的に無理だ。でも、誰かに見られることはない。
どうしよう?悠長なことをしてると雨が降って本がガビガビになってみれなくなってしまう。これほどまで、好条件でエロ本にお近づきできたのは小学校の時に静岡の登呂遺跡で見つけた時以来である(残念ながらそのエロ本はゲイ雑誌だったわけだが)
ともあれその時の僕はマイエロ本すら持っていないエロ本童貞だった。千載一遇のチャンスだ。あれさえあれば道端に落ちているエロ本をこそこそ読んだりしなくてすむのだ。そして、ある結論にたどりついた。
その時文字通りバイブルにしていたコンバットバイブルにラペリングの仕方が掲載されていたことを思い出したのだ。
一巻だったか、二巻だったか忘れたがそこにラペリングの仕方が掲載されていた
僕は家に帰り、倉庫にあったロープを使ってラペリングの練習にかかった。当時の僕はハーネスなんてオシャレなものは持ってなかったので、コンバットバイブルに書いてある通りロープを直接ハーネスとして練習した。
オシャンティなハーネス。今はPETZLのを使ってます
この時、コンバットバイブルには書かれていない重要なことに気がついた。ロープがおちんちんに食い込んですごく痛かったのだ。おちんちんが周りから浮き彫りにされる形で食い込み、すごく痛い(この経験か僕の新たな趣味になったかのかもしれない)
作者は絶対にこの方法を試していないと中学生ながら思った。でも僕は負けなかった。エロ本がほしいがために。ちんちんがどうなってもいい。エロ本が欲しい。
今年の夏、帰郷した時にたまたま撮影した現場付近。今は過疎化で通る人もいないので荒れ果てている
僕は必死にラペリングの練習をした。今すぐにでもエロ本が欲しい一方で、一日でラペリングをマスターするのは無理なこともわかっていた。生半可な技術で挑んで崖下でエロ本と共に悲惨な形で見つかりたくない。天気予報を調べ、三日間は雨が降らないと判断した僕は学校から帰ると近くの山に行ってラペリングの練習をした。
そして決行の日が来た。
急いで学校から家に帰り、ロープを用意し、革手袋を用意し、自転車のヘルメットを用意し、念のためコンバットバイブルも用意した。エロ本を隠せるリュックも用意した。
道具を揃えた僕は憧れの特殊部隊の隊員になった気分だった。戦闘に出撃する前の得も言われぬ高揚感と緊張。そしてもうすぐ手に入る崖下のスーパー写真塾。
当時の脳内イメージ
僕はエロ本という目標を確保するために崖という戦場に向かうのだ。興奮と緊張の中、例の崖まで行ってロープをハーネスとして巻きつけ、太い木の根に別のロープを結びつける。
するするする・・・と練習通りに崖を降りていく。エロ本は目前だ。慎重に、慎重に崖を降りる。興奮と緊張で股間は固くなり、ハーネスの締りも固くなる。
母さんがよく言っていた
過ちすなして降りよ。 by 兼好法師
はこのためにあったと言っても過言ではない。そして崖下にたどり着き、待ち焦がれたエロ本とご対面した。このときの喜びはとてもではないが言葉に言い表せない。今まで一冊も手入れることができなかったエロ本が、今、目の前に何冊もあるのだ!
かくして僕は喉から手が出るほどほしかったエロ本を何冊も手に入れ、意気揚々と自宅に戻ったのだった。あの時沢山拾ったエロ本の中で特にお世話になったスーパー写真塾は今でも覚えている。
1997年6月号 スーパー写真塾~私のいちばん可愛いところ見つけてほしいの~
最高でクールなエロ本、スーパー写真塾。今でも僕の青春だ。
*1:ロープを使用して建物などを降りたり登ったりする技術のこと